coping with grief and loss  母を失った悲しみ

親が亡くなったときに自分を癒す方法

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Helping Yourself Heal When a Parent Dies (by Alan D. Wolfelt, Ph.D.)
「親が亡くなったときに自分を癒す方法」を、一部省略して訳しました。

訳しているうちに、不思議と癒されてきました。
意味をよく咀嚼したからかもしれません。

お父様、またはお母様を亡くされて、このブログに来てくださった方へ。
2009年1月に母が亡くなったので、お気持ち、よくわかります。

私も、まだまだ葛藤の日々です。
最近泣いてなかったのに、今日はコップ1杯くらいの涙が出ました。

私は、死別の悲しみは「乗り越える」ものとは思っていません。
乗り越えるというより、消えることのない悲しみと共にどう生きていくか、
どうつきあっていくかを、少しずつ学んでいくのではないか・・・
そんな気がします。

みなさまに、少しでも、ほっとする時間がありますように。


追記:お読みいただき、ありがとうございます。
このブログは、現在更新をお休みしております。
お返事は必ずさせていただきますが、お時間がかかりますことを
どうかご了承ください。
よろしくお願いいたします。

*******************

お父さん、お母さんが亡くなってしまったんだね。
親との関係が、よかったとしても、悪かったとしても、
親への想いはとても強かったんじゃないかな。
基本的には、ほとんどの人が親を深く愛している。
親も、世界で一番、無条件の愛を与えてくれる。

かけがえのない人を失って、悲しくてしょうがないよね。
亡くなった人への思いや感情をさらけ出すのが、死を悼むということ。
あえてさらけ出すことが、悲しみを癒すのに必要なんだ。


あなたの悲しみは、あなただけのもの

死別の悲しみは、ひとりひとり違う。みんなが同じ方法で悲しむわけじゃない。
親との関係、どんなお別れだったか、精神的にどんな支えがあるか、
文化、宗教の違いによって、
悲しみの体験は異なってくる。
だから、自分自身のやり方で悲しんでいい。他の人と比べないでね。
どれくらいの期間が過ぎたら、悲しむのはもう終わり、
なんて考えに左右されなくていいよ。

一日、一日、自分のペースでのんびりいこう。


いろんな感情が押し寄せる

親子の絆は、人間が持つなかで、一番根本的なものなんじゃないかな。
お母さん、お父さんが亡くなったことで、その絆が引き裂かれてしまった。
そして、さまざまな強い気持ちの揺れを体験する。

まひしたような感じ、混乱、恐怖、罪悪感、安ど感、怒り・・・
こういった感情は、ほんの一部。
短い間に次から次へと押し寄せたり、一度に感じるかもしれない。

親と死別したときに感じる気持ちは、人によって違うけれど、
共通してよく聞かれる感情を説明すると・・・


悲しみ

親が亡くなったら悲しいって、わかってはいたと思うけれど、
こんなに悲しくなるなんて、想像してなかったかもしれないね。
でも、これだけ深く悲しむのは、自然なことなんだ。
だって、無条件で、他の誰よりもあなたのことを心配してくれた人が、
いなくなってしまったんだから。

もし今回、両親の最後のひとりが亡くなってしまったのなら、特に悲しいと思う。
「大人の孤児」になるのは、とても痛みを伴う、人生の転換だから。
あなたに子供がいたら、おじいちゃん、おばあちゃんを亡くしたことになるから、
それを思うと、また悲しいよね。
たくさん悲しんで、自分の心の痛みを受け入れよう。


安ど感

もし親が亡くなる前に、しばらく闘病していたら、お父さん、お母さんが亡くなって、
あなたはほっとしているかもしれない。親の看病をしてきたなら、この想いは強いかもしれない。だからといって、お父さん、お母さんを愛してなかったわけじゃないよ。
親の苦痛が終わって、ほっとするのは、愛しているからこそ。自然なことだよ。


怒り

機能不全家族や、虐待のあった家庭に育った場合、解消できなかった怒りが、
亡くなった親に向くかもしれない。

つらい感情が、親の死によって、表面に浮上してくるかもしれない。

愛情のある関係だった場合は、親がまだ若いのに、永遠の別れが訪れたことに怒りを感じるかも知れない。
もし怒りを感じるなら、怒りの原因を分析して、受け入れるようにしてほしい。


罪悪感

親との関係に問題を抱えていたり、距離があったり、複雑な感情を持っていた場合は、親が亡くなったときに罪悪感を感じるかもしれない。
こう言おうと思っていたのに、言えなかったとか、あんな傷つけるようなことを言わなければよかったとか。

でも、罪悪感や後悔といった感情は、お母さん、お父さんが亡くなったときに、自然に持つもの。こういう気持ちに向き合うことが、癒しに必要なんだ。
自分のこと、おかしいんじゃないかと思うかもしれないけれど、いたって普通で、健全だよ。どんな気持ちになったとしても、自然に任せよう。自分に批判的になったり、つらい考えや感情を抑え込もうとするのはやめよう。
悲しい気持ちを親身になって聴いてくれる人に、できるだけ会って話をしよう。

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死別が家族全体に与える影響

親が亡くなったことがどう影響するかは、あなたと、兄弟・姉妹、それぞれ違うんじゃないかな。だって、ひとりひとり、親との関係が違うから。それぞれが自分のやり方で、親との別れを悲しんでいいと思う。

親が亡くなったことで、もしかしたら、兄弟の間で衝突するかもしれない。葬儀のやり方で意見が分かれたり、金銭的なことで揉めたり。嫌になるかもしれないけれど、これも自然なこと。ストレスが多いこの時期、家族でお互いよく話し合うようにしよう。
嫌なことばかりじゃなく、親が亡くなったことで、兄弟の絆を強く感じるかもしれない。
ありがたいね。

それから、ひとり遺されたお父さん、お母さんのことを考えてみよう。
長年連れ添った奥さん、旦那さんを亡くすということは、子どもが受ける衝撃とは、また違う。だからといって、あなたは親に対して責任がある、と言いたいわけじゃない。
まずは、あなた自身を癒すこと、自分の悲しみに向き合うことが、なによりも大事。
そのうえで、親よりも若くて、回復力もあるあなたなら、忍耐と思いやりの気持ちを持って、親に接していけるんじゃないかな。


人に助けを求めよう

つらいとき、自分を思いやるつもりなら、人に助けを求めることが一番。
こんなふうに考えてみて。
親を失うということは、これまでの人生で一番つらい仕事じゃないかな。
大変なときは、誰かが手を貸してくれると、負担が軽く感じられるよね。

亡くなった親が高齢だった場合、人はあなたの悲しみを理解してくれないかもしれない。年を重ねることを軽視しがちな文化だから。お年寄りは知恵、経験、愛を与えてくれる存在というより、もう役目を終えた人たち、という見方をするのかもしれない。
「大往生でしたね」「寿命でしたよね」なんて言われたり。「お母さんは特別な存在でしたね。お母さんとの絆は、大きな意味がありましたよね。お亡くなりになって、残念ですね」と言われるかわりに。

あなたの悲しみを認め、話をそのまま聴いてくれる人を探そう。
あなたの気持ちを判断しようとしたり、ひどいときは、流そうとする人は、避けよう。
痛みが消えることはないけれど、人と分かち合うことで、時間をかけて、痛みに耐えられるようになる。
助けを求めることで、人とのつながりや愛情がさらに強くなって、
人生に再び生きる価値が見えてくるよ。


体と心の限界を許そう

死別の悲しみを体験すると、疲れきったように感じると思う。思考力が落ちたり、物事を決められなくなったり。エネルギーが低くなることで、自然とペースをゆっくり落とすようになる。体と心の声を聴くようにしよう。自分自身をいたわってあげよう。しっかり休もう。バランスの取れた食事をしよう。スケジュールを、できるだけ軽くしよう。

悲しみは、(薬のように)「投与」するものと考えてみよう。毎日、一日中無理して死別のことを考えなくてもいいんだよ。自分を癒すために、悲しむことは必要。
でも、生きていくことも必要なんだ。


意味を求める
 

「どうして、今、お母さんが死なないといけなかったの?」
「亡くなると、どうなるんだろう?」
人生や生きることの意味を求めるのは、親が亡くなったときの、自然な反応。
悲しみを癒していくのに、こうした疑問に答えを探すことは、必要なんだ。
確かな答えが見つからなくてもいい。
大事なのは、物事をじっくり考え、感じていくこと。


思い出を大切にする
 

親はもう、この世には存在しないけれど、心の中、思い出の中に生き続けている。
思い出を大切にして、家族や友達と分かち合おう。思い出して、笑うかもしれないし、泣くかもしれない。
どちらにしても、思い出は永遠に残る、お母さん、お父さんとの大切な繋がり。
思い出を形に残したいと思うかもしれない。木を植えるのもいいし、箱を用意して、
思い出の写真や形見を入れるのもいい。
 

悲しみと癒しに向かって

もう一度思いっきり生きて、愛するために、親の死を悲しまなくてはいけない。悲しみを隠さずに出すことで、初めて自分を癒すことができる。悲しい感情を否定すると、余計にややこしくなって、重くなってしまう。
悲しみを受け入れて、癒してほしい。
悲しみとうまくつきあえるようになるのは、そんな急にはできない。
悲しみとは、ひとつの出来事として終わるものではなく、一連の作業だということを覚えていてほしい。
焦らないでいいし、自分に甘くていい。
そして、親が亡くなったことで、あなたの人生が永遠に変わったいうことを、
けっして忘れないでね。

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最後に観た映画

母と最後に観に行った映画は、あさぼっちさん におすすめしていただいた、
マルタのやさしい刺繍」です。

マルタのやさしい刺繍 [DVD]

感想は、こちらの記事で書いています。

映画で使用されていた旗が、展示されていました。

Flag


「マルタ、かわいい」と言っていた母は、
記念に絵葉書を買っていました。
そんな母を、いつもかわいいのですが、さらにかわいいと思いました。

この日は、有楽町の
クリスピークリームドーナツ
→銀座で映画
→ZARAでウィンドウショッピング。(母は初めて)
→マロニエゲートsou で食事
東急ハンズ で買い物(母が欲しがっていた、トング を購入)
→有楽町イトシアでお茶

以上、母娘のお出かけ王道?コース。

疲れているはずだから、食事のあと、「今日はもう帰ろう」と言う私に、
母は「デザートが食べたい。お茶しようよ」。
スタバに行ったら、とても混んでいて、席がいっぱい。
「帰って、家でお茶しようよ」と言ったら、「お茶したい」と、母。

たどり着いたのが、
茶寮花絵
出されたお皿にお花が添えてあって、「あら、かわいいね」
「後の女の人の声、すごいね。興奮しちゃって(苦笑)」
「あー、おいしいねー」と、
いつものように、なんてことない話をしたので、
他に何を話したのか、詳しくは覚えていません。

がんと診断される何年か前、二人で銀座の歩行者天国を歩いていたら、
バイオリンの音色が聴こえてきました。
生で聴くショパンの「ノクターン」にうっとりした母は、
興奮気味にその場でCDを買い、家でよく聴いていました。
久しぶりに銀座を二人で歩いたら、その日のことを思い出しました。

今回、なぜか、駅のホームで手を繋ぎました。
ふだんは、繋がないのに。風がびゅーーっと吹いて、寒かったから。
「お父さんと二人のときは、いつも手を繋ぐんだよ。ラブラブなの」と、
母は笑いながら話してました。

この日が母と最後の映画鑑賞、二人きりでの外出になりました。
まさかこれが最後になるなんて、思わなかったです。
亡くなる、ほんの2か月ほど前のことです。

あさぼっちさんのおかげで、映画を観に行くことになり、
思い出を作ることができました。
ありがとうございました。
(お礼を言うのが遅くなって、ごめんなさい)

くしくもこの映画、ご主人を亡くして意気消沈していたマルタが、
友人の励ましとともに、かねてからの夢だったお店を出すという、再生の話。
そしてもうひとつ、突然の悲しいお別れが・・・。
母と最後に見た映画が、「マルタのやさしい刺繍」だったということは、
何か意味があるのかもしれません。
                            

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Serenity Prayer

Sakura


God grant me the serenity
To accept the things I cannot change;
Courage to change the things I can;
And wisdom to know the difference.
           
            Reinhold Niebuhr
 
 

神よ、 変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、 変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
 
                  大木英夫訳   
 

神学者ラインホルド・ニーバーの祈りです。
詳しくは、
こちら(英語では、こちら
 
初めて知ったときから、心に残っている言葉で、
最近特に、心のなかで繰り返しています。
 
そういえば、母がよく聴いていたラジオ番組、
「テレフォン人生相談」(!)での、加藤諦三さんの言葉と似ています。
 
「変えられることは変える努力をしましょう。
変えられないことはそのまま受け入れましょう。
起きてしまったことを嘆いているよりも、
これからできることを皆で一緒に考えましょう」
 
「本当にそうだよね」と、母とうなずいていました。今も、そう思います。

それでも、死別だけは、ほんとうに受け入れるのが難しい。
変えられないことだと、わかってはいても。

最近元気になってきて、普通に笑うこともあります。
でも、その直後に、「母には、会いたくても、会えないんだ」と、
絶望に襲われて、
胸がぎゅーっと、痛くなります。

悲しみを癒すには時間がかかるということ、
時間が解決しないこともあること、
痛みをともなうということも、「変えられないこと」。
それを受け入れ、静かに時を過ごすことが、
今の私には必要なのかもしれません。
                         
                                       

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大切な人を亡くした友達のためにできること2

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ひとつ前のエントリーで、英語の記事を翻訳しましたが、
日本語では、遺族をどうサポートするかついての記事は、
なかなか見つけられませんでした。

ネット記事としては貴重な、死別の悲しみとケア:1
は、
少しでも多くの方の目に触れ、遺族の心境について、
広く知ってもらえたらなと思います。

もちろん、遺族自らが、悲しみとどうつきあっていくか、模索しなくてはなりません。
再び生きていこうとするのは、本人にしかできないのですから。

けれど、悲しくて、どう進んでいいかわからないときに、
手を差し伸べてもらえたら、心にぽっと、明かりが灯ります。
想ってくれる人がいると感じられたら、終わりのないような苦しい日々を、
一歩ずつ、歩いていく勇気がもらえます。

今日は、私の体験から思ったことを、具体的にまとめてみました。


うれしかったこと、助けられたこと

□ただ、話を聴いてくれた。自宅で。電話で。

□亡くなった直後、代わりに買い物に行って、必要なものを買ってきてくれた。
 出かける気力も体力もなかったので、とても助かった。

□きれいなお花とお菓子を持って、お参りに来ていただいた。
 このお花は、「できあがったら、お母様のイメージでした」。
 水色が好きだった母を思い出す色合いで、とてもうれしかった。
 来ていただくときは、食事よりお茶が、準備と片付けが簡単で、正直ありがたい。

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□心のこもったお手紙、お葉書、メールをいただいた。

□お茶や、食事に誘ってくれた。
 私の無理のない範囲で、日にちや場所を考えてくれた。

□お花を贈っていただいた。これは、アメリカから。
 「明るい春の花で、家族が癒されるように」。とても癒された。

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□「無理しないで。家事も、完璧を目指そうなんて思わなくていいよ」と、
 言ってくれた。

□夕ごはんの献立が「全く」思い浮かばないとき、アイデアをくれた。
 思考力、判断力が落ちるので、そういうことが「とても」助かる。

□「Karenさんのことを想っている人がいると伝えたくて」と、
 私が好きなもの、かわいいものをたくさん送ってくれた。
 離れていても、気持ちがよーく伝わってきた。

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言われて悲しかったこと

□「Karenちゃんのお母さんは、○歳だったから、まだいいほうだよ。
 ○○のお母さんなんて、○歳だったんだよ」
 
□「(親との別れは)いつかは誰もが経験すること」

□「がんばって」

□治療方針、病院の選択について。責められたように感じる。
 一番救いたい、亡くなってほしくないと思っていたのは、家族。

□今後について、ああしろ、こうしろと、偉そうにアドバイスする。


これから、家族とお別れをした人に、したいと思っていること

□話を聴く。私の経験を話したとしても、押しつけないようにする。

□買い物を申し出る。亡くなる前後は、特に助かる。

□お花を贈る。ほんとうに癒される。お悔やみの気持ちが伝わってくる。

□読んで、とても救われた本を贈る。
 「読みたいときに、読んでね。パラパラとめくるだけでも」と言って。
 でも、長い文章を読む気力がないかもしれないので、気をつける。
   
□遺族を悲しませる言葉について、できるだけ多くの人に知ってほしい。
 そのために、周りの人に、ブログでも、経験したことを話す。

□親御さんがおいくつであっても、「大往生でしたね」
 「長生きで、よかったですね。うちの母は、○歳でしたから・・・」と言わない。
 歌手の細川たかしさんも、お父様が99歳で亡くなられて、
 「おふくろが逝って、おやじもいなくなった」と、ボロボロ泣いておられた。
 いくつになっても、お別れは悲しいもの。

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大切な人を亡くした友達のためにできること1

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How to Help Me in My Grief (by Eileen T. Geller)
「大切な人を亡くした友達のためにできること」を、
一部省略して、訳してみました。


友達が、大切な家族を亡くして悲しんでいる。
助けたいけれど、どうしたらいいかわからない。
そういう優しい方の、お役に立てばうれしいです。

亡くなった方を、「お母さん」と訳しましたが、
英語ではmy loved oneになっていて、
どんな関係であっても、共通する内容になっています。

一歩引いて読むと、わがままだなと思いますが、
そういう時期なのだからと、広い心で見守ってください。
この中のどれかひとつでも、本人にとって大きな救いになります。
そして、ずっとそのことを忘れません。

**********************

なんと言っていいか、何をしたらいいのか、わからないんだよね。
大切な人を亡くして悲しむ私を励ましたい。
でも、どうしたらいいかわからない。
自分の言ったことで傷つけるんじゃないかと、心配したり。
かえって何も言わない、しないほうが、 いいんじゃないかと思ったり。

実際は、何か言葉をかけてほしいというよりも、
ただ、そこにいてくれるだけでうれしい。
できれば、喪失を認めてもらいたい。お母さんの話に触れてほしい。
どんな人だったか、私がどんなにお母さんに会いたいか、
お母さんのいない毎日がどんなにつらいか、
そういうことを、本当は話したい。

友達が心配してくれる、気持ちをわかってくれる。
でも、心配しすぎないで。
ただ一緒にいてくれるだけで、うれしいから。

悲しみにうちひしがれているとき、
その道のりを共に歩いてもらえたら、本当に救われる。
つまずいたときは、手を差し伸べてほしい。
倒れたら、起こしてほしい。
なによりも、ずっと友達でいてほしい。

友達を助けたいと思っているあなたに。
その方法をいくつか、提案させてください。
お友達が、男性でも、女性でも、
亡くなった方が、友達、家族、同僚、兄弟、おばあさん、
お母さん、小さな子供、
どんなお別れでも、共通します。

もし、もっとたくさんの人が、遺族にしてあげられること、
逆に、言ってはいけないこと、してはいけないことを知っていたら、
悲しみと向き合っている人たちが、どれだけ救われるか・・・。

私のことを想ってくれて、ありがとう。
そして、この記事を読んでくれて、ありがとう。

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大切な人を亡くした友達のためにできること



*時間を与えてほしい。そんなに期待したり、回復を急がせないでほしい。
悲しみを癒す作業は大変で、周りが想像するより、ずっと時間がかかるんだ。

*私を避けないでほしい。「なんと言っていいかわからない」と、
何も言われないほうが、かえって傷つく。
どんな言葉でも、心がこもっていると、ほんとうにうれしい。

*といっても、決まり文句は言わないでほしい。
「神のおぼしめしだと思います」なんて言葉より、
単に「残念でしたね」と言われるほうが、何倍もほっとする。

*私の言葉と同じように、心の声も聴いてほしい。
死別の話を、何度も繰り返すかも知れないけれど、
私の悲しみを抑え込もうとしたり、どうしたらいいか教えないでください。
話を聴いて、気持ちを受け止めてほしい。

*ひとりになりたいときもあるし、ひとりになりたくないときもある。
一緒にいようと声をかけたうえで、私の意思を尊重してほしい。
日によって、会いたいか会いたくないか、変わるかもしれないけれど。
私にとっての新しい「ふつう」を、模索しているところなんだ。

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*カードがもらえるとうれしい。特に、お別れして時間が経ってから。
心のこもった手紙をもらったら、何度も、何度も、読み返す。
特に、お母さんの思い出が語られていたりするとね。
命日や特別な日にカードが届くと、お母さんを想ってくれる人が、
私の他にもいるんだって思える。

*具体的に手伝いを申し出てくれると、うれしい。
掃除、子供の世話、庭仕事、いろんな家のこと。
「何か必要だったら、電話してね」と言われても、
実際には電話できない。人と話をするのさえ、すごく疲れてしまうこともある。
正直、ベッドから起き上がるのがやっと、というときもあるんだ。

*夕食の宅配や、何か食べ物を持って来てくれると、本当に助かる。
料理をするのが、しんどいときもあるから。
宅配の場合、友達が受け取って、家に持ってきてくれると、うれしい。
よく知っている人だから。(配達が来ることが、負担に感じる場合もある)

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*自分が壊れてしまったように感じることもある。
でも、それを無理に直そうとしないでほしい。
悲嘆の5段階(否定、怒り、取引、抑うつ、受容)を
ひととおり過ぎたかもしれないけれど、まだ乗り越えてはいないんだ。
お母さんを亡くした悲しみは、これから私が一生かけて、
自分の成長とともに癒していくことを、わかってほしい。
回復の型に、あてはめようとしないでほしい。

*罪悪感、怒り、後悔を感じることもある。それをわかってほしい。
私の言葉、または沈黙を、受け入れてほしい。

*私がどうしているか、ときどき声をかけてほしい。
電話、メール、手紙、直接会いに来たり。
葬儀後のばたばたが過ぎて、弔問客が来なくなると、時が過ぎるのが遅くなる。
電話や励ましのメッセージがない日は、一日が永遠のように、長く感じられる。

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*悲嘆が引き起こす症状について、知ってもらいたい。
死別の悲しみが、人の体、心、感情にどれだけ影響を及ぼすか、
知ったらきっと、驚くと思う。
友達から見た私は、ほんの表面に過ぎない。
何かのきっかけで、乗り越えたかに見えた感情が、ぶりかえすこともある。
道を歩いていて、急にわーーっと泣き出しても、それは普通のことなんだ。

*子どもは、一見、平気に見えるかも知れないけれど、
大人と同じように、それぞれ悲しんでいることを忘れないでね。
成長とともに、そのつど、何度も悲しんでいくものだよ。見守っていこうね。

*遺族のサポートグループに行きたいけれど、
ひとりで行くのを不安がっていたら、一緒に行ってほしい。
もし、私の体調がとても悪くなってしまったら、
専門家のアドバイスも受けられるよと、声をかけてほしい。

*あなた自身を大切にすることを、忘れないでね。
私につきあうのに休みがほしいと思っても、理解するよ。
だって、あなたにも、元気でいてほしいから。
私がどれだけ感謝しているか、言ってなかったかな?

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Titanic, again

Rose0523095 

ジョージア・オキーフの絵を思い出しました。
見事な「巻き」に、うっとり。

昨年、
A Rose Named Titanicという記事で紹介した、
タイタニックという名前のバラ。


前回に比べて、かなり近寄って撮ってみました。
お花は寄りすぎるくらいのほうが、
生命力や気配が感じられていいのかも、と発見。

Rose0523093 

いかがでしょうか?

ちょっと下から、にじり寄る感じで・・・。

Rose0523092 

寄りすぎ??

Rose0523091 

波打つ花びら。
静謐さ、伝わりますか?

母の部屋は、お花でかわいらしくしてあげたいです。会いたいな・・・。
                    

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大切な人とお別れする前に読む本3

あらかじめ申し上げますが、紹介する本のタイトルがダイレクトすぎて、
びっくりされるかもしれません・・・。

誰もが知りたい 上手な死に方、死なせ方


誰もが知りたい 上手な死に方、死なせ方


終末期の患者をどう支えるか、患者の気持ちの変化、
後悔を残さないためのコミュニケーション、
闘病、看病で疲れた心身の癒し、などについて書かれています。
家族を看取ることについての、さまざまな内容が、
この1冊に凝縮されています。

著者は、「はじめに」で、このように語っています。

「私の母はがんの転移による長患いで亡くなりましたが、
当時の私に今の知識や心構えがあったら、
長かった終末期を、よりやすらかで満ち足りたものに
してあげられたのは確かです」

これは、私自身の気持ちでもあります。
「この本を読んでおけば、おろおろしないで、
違うお別れの仕方があったのではないか」
と、思いました。

読んでいると、心が落ち着いてきます。
「あのときの受け答えは、あれでよかったんだ」
「母の気持ちは、そういうことだったのか」。
聞いても答えが返ってこない今、ひとつひとつ、確認し、納得します。
「大丈夫。まぁまぁ、ちゃんとやれたじゃない」
と言ってもらえたような気も。自己満足ですが。

最終章、「愛する人を看取ったあとに」。
「後悔がまったくない死別はない」という言葉に、
普遍的にそういうものなのかと、ほっとします。


「周囲の人が、心配して声をかけてくれたときには、
『大丈夫』と強がったり、平静を装ったりせずに、
思い切って、自分の心のうちを打ち明けた方がよいのです」(p.219)。
ここは素直に、「そうしよう」と、自分に言い聞かせます。
見守ってくれる家族、友達、ありがとう。


この本をきっかけに、終末期医療の推進役であった
エリザベス・キューブラー・ロスの"On Grief and Grieving"をはじめ、
さまざまな死別、悲嘆、死生学関係の本を取り寄せることになりました。
こんなに本が救いになるとは、思いませんでした。

On Grief and Grieving: Finding the Meaning of Grief Through the Five Stages of Loss

こういった本の感想を書くことに、抵抗がなかったわけではありません。
けれど、これがありのままの、今の私です。
書き残しておけば、いつか、誰か、つらい立場の人の検索にかかるかもしれないと、
思い切って、記事にしてみました。


そういえば、こんな記事を書いている人がいたな、
しかも、大丈夫か?というくらい泣いていたなと、
心のどこかに留めておいていただければ、幸いです。

ブログとは、いいことも、悪いことも、人生、日々、
いろいろあるなかでの
心境、気づきを記録していくものだと、
私は捉えています。
自分の弱さ、葛藤も、この場所なら、さらけ出してもいいかな、と思います。
そういう部分も許容してくださるみなさんに、改めて感謝申し上げます。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
                           
                            

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大切な人とお別れする前に読む本2

前回に続いて、「母が元気なうちに読んでおきたかった」
本の紹介です。

あなたの家に帰ろう

本ではなく、冊子なのですが、
母が亡くなってから、お世話になった病院を訪ねたとき、
患者・家族支援コーナーにあるのを見つけました。
上のリンク先から、取り寄せることができます。

がん患者さんの在宅ケアについて、大事なポイントがまとめられています。
具体的なエピソードが満載で、やさしい言葉で書かれています。
知ることで、家族を看取るまでの不安が、和らぐかと思います。

その一方で、読み進めるのが、怖くて、つらくなるかもしれません。
Ignorance is bliss(知らぬが仏)という言葉があるように、
知るか知らずにいるかは、その人の選択、価値観次第です。
ここでお勧めしておきながら、私は知らないほうを選びました。
なんだか矛盾してますね・・・。

この冊子は、在宅ケアに限らず、病院やホスピスで
家族と最後の時間を過ごす人にとっても、参考になる内容です。
せん妄や、亡くなるまでの体の変化についても学べるので、
読んでおくと、心の準備ができるかと思います。
実際に目の当たりにしたときのショックが、少し抑えられるかもしれません。

私は、人の最期を看取った経験も、知識もほとんどなかったので、
免疫がなく、とてもとてもショックでした。

病院ではなく、家で看取ってあげたかったな・・・と
今にして思います。
その覚悟が、ありませんでした・・・お母さん、ごめんね。

最期を迎えるのは、自宅か、病院か、ホスピスか・・・。
こういったものを読んで知識を得ることで、迷ったとき、
判断の手助けになるのではないかと思います。

紹介したパンフレットと共通する内容の記事を、
こちら で見つけました。
これなら、取り寄せなくても、今すぐ読めますね。

物語形式になっていて、読みやすく、わかりやすいです。
読み進めながら、終末期医療、緩和ケアについて、
最低限知っておきたい知識を、自然に得ることができます。


                            

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大切な人とお別れする前に読む本1

今日から、「母が亡くなる前に読んでおきたかった」
という本を、いくつかご紹介します。

出会ったのは、すべて、母が亡くなってから。
図書館をふらふらと歩いていて、たまたま目に入り、購入しました。

できれば、家族がまだ元気なうちに、買っておくといいと思います。
ふだんは、あえて手に取ることはない本ですが、
そういうときのほうが、心理的に読みやすいと思います。

いざ家族が重い病気になり、お別れが近づいてくると、
「最期」についてリサーチしたり、本を読んだりする気力と勇気は、
実際にはないものです。
亡くなってほしくないので、考えること自体、避けてしまいます。
私も、終末期については、インターネットで調べなかったですし、
本も読みません(読めません)でした。

残念ながら病状が進んで、家族の最期が近づいてしまったとき、
ふと本棚を見て、こういう本があると、救いになると思います。
そのとき、気分的に手にとって読めるかどうかは、
その場になってみないと、なんとも言えませんが・・・。

こういったことは、身近な人との死別を経験しないかぎり、
受け身では、誰も教えてくれません。
けれど、とても大切なこと。
だから、自分から知っていくしかないのです。
知らないと、私のように、後悔してしまうかもしれません。

まずは、一番「マイルド」な本から。

おかあさんががんになっちゃった



かわいい、ほのぼのするイラストの漫画ですが、
書かれていることは、ふかーーいです。
がん患者を家族に持つとはどういうことなのか、
終末期医療について、とてもよく描かれています。
すーーっと入って来るので、かなり、おすすめします。

実は、主人公のお母さんが、見た目も性格も、
びっくりするくらい母によく似ています。
なので、涙をぼろぼろ流しながら読みました。
「主人公すずちゃんのように、もっと優しく接すればよかったなぁ・・・」
と、思わず自責の念にかられ、胸が痛くなります。

星を眺めるシーンは、しし座流星群を
母と並んで見たことを思い出します。
布団に寝たまま、部屋からベランダに顔を出して
寒いのでニット帽をかぶって、2時間くらい見てました。
(うー、思いだすだけで、涙が・・・)

漫画は本よりも、よりダイレクトに感情に訴えかけてくるようです。
がん患者本人と支える家族の揺れる心境や、
家族それぞれの対応の違い、気持ちの波のずれ、
ホスピスの様子などが、よくわかります。

私自身、経てきた道のりなので、どの話も共感できます。
「すずちゃん、合コンに行く」というエピソード(汗)や、
母の姉妹や、大勢でお見舞いに来た友人に辟易したり(苦笑)。
「そうだよね、そうそう」と、同じ体験をした方と
話しているような気持ちになります。
すずさんは、マイナス面も含めて、ご自身の心境を
正直に吐露されているので、
心に訴えかけてきます。

患者も、家族も、ともすれば孤独になりがちです。
いろいろなことに、日々葛藤します。
家族にも、家族だからこそ、言えないことがあります。
かといって、誰に打ち明けたらいいのか・・・。
がん、看病といったことは、経験者以外のほとんどの人にとっては、
「非日常」で、「引く」話題でも、あります。

医療者とは立場の違いから話しにくいですし、彼らは忙しすぎます。
患者はサポートグループもありますが、
家族向けのグループは、なかなか見つからず。
(在宅ケアのNPOは見つけました)

mixiでがん患者家族のコミュを見つけて(勝間さんのアドバイス)、
ひっそりと、泣きながら共感していました。
こういう、「とりこぼされた」家族をサポートする仕組み作りが、
必要なんですよね。患者さんのためにも・・・。

つらい気持ちをわかってもらえないとき、
看病がつらくなったとき、別れが怖くなったとき、
この本は友達のようにやさしく話を聴いてくれて、
経験からアドバイスもしてくれます。

お別れの後に読んでも、とても心に染み入ります。
開くと涙がぼろぼろ出てくるので、公共の場には持っていけません・・・。


                    

                        

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私の母の日

Carnations_2

今日は母の日でしたね。
無事に、穏やかに過ごせてほっとしています。

というのも、先月から、スーパー、デパート、電車の中・・・
どこに出かけても「母の日ギフト」の文字が。
こんなに母の日がつらいとは。
目をそむけたり、「母の日なんて、早く終わって欲しい」
なんて、ひどいことを考える始末。

ところが先週、偶然テレビで
「母の日の由来はいろいろありますが、
アメリカの女性が、亡き母を偲んでカーネーションを献花したのが始まり」
ということを知りました。

調べてみると、

1905年5月9日に亡くなったAnn Marie Reeves Jarvisを追悼しようと、
ウェストバージニア州に住む娘のAnna Maria Reeves Jarvis
フィラデルフィアの教会で母の好きだった白いカーネーションを配った

というのが、アメリカでの母の日の始まりだそうです。

詳しくは、こちら

公衆衛生に尽力した母を偲ぶAnna Maria Reeves Jarvis
(後に、母の日の「商業化」に反対する)について知ることで、

もう母はこの世にはいないけれども、彼女のように、
母を偲んで花をたむけていいんだ、そっか、と思いました。
母の日の本当の由来のおかげで、ざわざわしていた心が、穏やかになりました。

Carnations_3

私の母の日。
そこに母はいないけれど、淡いピンクのカーネーションを捧げました。
なんだか、すぐそばに、母がいるような気がします。
そういえば、今日は泣いてない。
                          
Carnations_1

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