Is the glass half-empty or half-full?
コップに残った半分の水を見て、もう半分しかないか(half-empty)、
今は、どうしても悲観的になることもありますが、
こうして振り返るのも、けっこう勇気がいるものです。
抱負を書いていた当時が、なんだかとても昔に感じられます。
間違いなく自分なのに、別人のようです。
intuition and beauty come from within
intuition bubbles up from unconscious
be open to unconscious, try to remember dreams
you meet with a person and you feel comfortable--unconscious, intuition tells you
education
what I teach--listen to intuition <-> medical school--objective
healthy aging
Aging is like a failure?
ジョージア・オキーフの絵を思い出しました。 寄りすぎ??
見事な「巻き」に、うっとり。
昨年、A Rose Named Titanicという記事で紹介した、
タイタニックという名前のバラ。
前回に比べて、かなり近寄って撮ってみました。
お花は寄りすぎるくらいのほうが、
生命力や気配が感じられていいのかも、と発見。
波打つ花びら。
静謐さ、伝わりますか?
母の部屋は、お花でかわいらしくしてあげたいです。会いたいな・・・。
近所のおじいさんがやっている畑で収穫された、そら豆。
散歩の途中で、「天豆」と書かれているのを見て、
「てんまめ?」と、思わず立ち止まりました。
形は少しいびつだけれど、
朝の採れたてで、まだみずみずしい。
新鮮なので、ゆでても黒いすじが出ませんでした。
さやが空に向かってつくため空豆、
さやの形が蚕に似ていることから蚕豆とも書く、そら豆。
蚕から虫を取って、天豆とも書くんですね。
そら豆を料理するのは、初めて。
さやから豆を出すときは、ふきんを絞るように軽くねじると
取り出しやすいのか・・・ふーん、なるほど。
父はそら豆が好き。
母がよくやっていたように、塩ゆでしてみました。
ビールのおつまみになったみたい。
それから、そら豆ごはんも。
おいしかった、そら豆づくし。
今が旬ですよね。
といっても、この記事を書いたのは2週間くらい前なので、
そら豆の旬は、もう終わりそう。
あっという間に、春を通り越して、夏になりそう。
こうして、どんどん季節が移り変わっていくんですね・・・。
咲き始めなんて、ぷっくりしていて、
ほんとうにかわいくて、うっとりしてしまいます。
名前をお花屋さんで聞きそびれたので、ネットで調べてみました。
これが、調べれば調べるほど、どれなのかわからなくなってきます。
たぶん、ライトピンクテッシノか、ウエストダイヤモンドか、
リリアンではないかな、と。
こちらには、ピンク系のスプレーカーネーションが
だーーっと載っています。
私が買ったものは、どれなのでしょうか?
(スプレーとは、1本にいくつも花がつくもので、
一輪咲きは、スタンダードといいます)
カーネーションは、色・形もバリエーションが、
思ったよりたくさんあるんですね。
写真がきれいなオランダのサイトを発見しました。
(写真・文字をクリックすると、拡大します)
私は、Super Lavender Tessinoが気になります。
日本語サイトだと、こちらには90種類も掲載されています。
(たくさん見すぎて、お腹いっぱい)
「ユニーク色」カテゴリーにあるミルクティ、
実物を見てみたいです。
今日は母の日でしたね。 私の母の日。
無事に、穏やかに過ごせてほっとしています。
というのも、先月から、スーパー、デパート、電車の中・・・
どこに出かけても「母の日ギフト」の文字が。
こんなに母の日がつらいとは。
目をそむけたり、「母の日なんて、早く終わって欲しい」
なんて、ひどいことを考える始末。
ところが先週、偶然テレビで
「母の日の由来はいろいろありますが、
アメリカの女性が、亡き母を偲んでカーネーションを献花したのが始まり」
ということを知りました。
調べてみると、
1905年5月9日に亡くなったAnn Marie Reeves Jarvisを追悼しようと、
ウェストバージニア州に住む娘のAnna Maria Reeves Jarvisが
フィラデルフィアの教会で母の好きだった白いカーネーションを配った
というのが、アメリカでの母の日の始まりだそうです。
詳しくは、こちら。
公衆衛生に尽力した母を偲ぶAnna Maria Reeves Jarvis
(後に、母の日の「商業化」に反対する)について知ることで、
もう母はこの世にはいないけれども、彼女のように、
母を偲んで花をたむけていいんだ、そっか、と思いました。
母の日の本当の由来のおかげで、ざわざわしていた心が、穏やかになりました。
そこに母はいないけれど、淡いピンクのカーネーションを捧げました。
なんだか、すぐそばに、母がいるような気がします。
そういえば、今日は泣いてない。
今日の朝ごはんです。
(食べ過ぎ?)
NHKきょうの料理でやっていた、有元葉子さんの「きゅうりサンド」。
食べたくてしょうがなくなって、作ってみました。
実際のレシピより、きゅうりが少なすぎたかもしれないです。
(上のリンク先の写真と比べると、差が歴然)
パン4枚に対して、きゅうりを3-4本も使うんですよ。
(今回は、パン6枚、きゅうり3本)
これでもかと、ぎゅーーーっと絞るのがコツで、
がんばって、絞りましたよ。
種の部分はくり抜いて、有元さんの教えどおり、
オリーブオイルと塩をかけて食べました。
きゅうりのカリカリとした歯ごたえが楽しめて、
何よりも色がきれいで、目にもおいしい。
ちょっとしたことで、朝の気分がいい。
きゅうりを、ただひたすら切っているときは、
そうじのエントリーに書いたような、無心の境地に。
野菜をもくもくと切るのが好きで、
留学しているときも、ストレス解消になっていました。
「無」に、なるんですね。
それにしても、特にきゅうりが好きというわけではないのに、
どうしてそんなに食べたくなったのかな?
そういえば、お母さん、きゅうり好きだったなぁ。
最期まで、きゅうりは食べていたなぁ。
冷蔵庫にも、買いこんでいて、ポテトサラダ・・・って言ってた。
お母さんにも食べさせてあげたかったな、きゅうりのサンドイッチ。
今朝のお供えにして、喜んで食べる母の姿を想像しながら、
静かに朝ごはんをいただきました。
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