母との別れ
このお花は、母のお友達が、母のイメージということで
いつもブログを見に来ていただいたみなさまへ
最後の更新から、もう1か月以上も経ってしまいました。
持って来てくださいました。
いつもブログを見に来ていただいたみなさまへ
最後の更新から、もう1か月以上も経ってしまいました。
ご心配をおかけし、申し訳ありませんでした。
お返事も遅くなってしまい、本当にごめんなさい。
実は先月、母が亡くなりました。
1998年に乳がんとわかってから、11年間闘病してきました。
実は先月、母が亡くなりました。
1998年に乳がんとわかってから、11年間闘病してきました。
病気に負けた、というよりも、「生き抜いた」と思います。
最後まで生きることをあきらめない、自分より周りの人を気遣う、
優しくて、気丈な母でした。
亡くなる日の朝、意識レベルが下がっていくなかでの、
亡くなる日の朝、意識レベルが下がっていくなかでの、
母と二人だけの時間。
言いたかったけれど、言えなかった、
最後までとっておいた言葉を、ついに伝える時がきました。
「お母さん、ありがとう。
「お母さん、ありがとう。
お母さんがお母さんで、本当によかったよ」。
母は小さな声で、「うん」と、うなずいてくれました。
失ってみると、母は本当にすばらしい人だった、ということを強く実感します。
できたら、あともう1回、母と話がしたいです。
失ってみると、母は本当にすばらしい人だった、ということを強く実感します。
できたら、あともう1回、母と話がしたいです。
1日だけでいいから、元気な母と、
きれいな景色を見たり、おいしいものを食べながら、
今までの感謝の気持ちを伝えたいです。
今、これを書きながら、涙が止まりません。
1か月が経ちますが、亡くなった直後とはまた違った
今、これを書きながら、涙が止まりません。
1か月が経ちますが、亡くなった直後とはまた違った
感情が込み上げてきます。
日常生活を取り戻すにつれて、寂しさを感じ、
朝起きると、まず最初に、「母はもういない」と実感します。
近くの公園を、いつものように散歩するとき、
近くの公園を、いつものように散歩するとき、
これでもかとばかりに、涙があふれてきます。
見慣れた景色が、今までと違って見えます。
がんの患者さんや、がんで家族を亡くされた方々のお話を、
がんの患者さんや、がんで家族を亡くされた方々のお話を、
映画、テレビ、本、ブログを通して、疑似体験してきました。
でも、やはりそれは疑似体験に過ぎず・・・。
現実は、本当に、とてもつらいです。
でも、泣いているだけでは、何も始まらないし、
でも、泣いているだけでは、何も始まらないし、
母も、それを望んではいないはず。
「(もうろうとして)意思を伝えられないのって、たいへんだね」
「(もうろうとして)意思を伝えられないのって、たいへんだね」
「(息を)たくさん吸って、たくさん吐きたい」
「(大好きなみかんを)どんどん食べたい」
と言って亡くなった母のことを想うと、
息が吸えて、自分の足で歩けて、
目が見えて、おいしいものが食べられて、
自分の意思を伝えられるということ、
生きているということが、
なんてありがたいのだろう、と思います。
生まれ変わったというよりも、
生まれ変わったというよりも、
亡くなるときに、母に「産み直してもらった」気がします。
母の苦しさを目の当たりにして、
母の苦しさを目の当たりにして、
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